ジャン=リュック・ゴダールの死とミア・カリーナ 、そしてトリュフォー

フランスの巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督が、先日死去されました。

1958年頃、フランス映画界で既存の映画手法の破壊を試みた、一郡の先鋭的映画作品を指す「ヌーヴェル・ヴァーグ」。
ゴダール、フランソワ・トリュフォーから、直接的、間接的にかかわらず、影響を受けたクリエイターは多いと思います。

私たちの記憶の中にも、「勝手にしやがれ」のジャンポール・ベルモンド、「女は女である」「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナ、「突然炎の如く」のジャンヌ・モローの輝きは、ずっと刻み込まれています。

心の中では永遠に生きていいますが、残念ながら現実にはみんな亡くなっています。

子供には「日曜映画劇場」や「水曜ロードショー」で見る映画が全てでした。
ゴダールもメルヴィルも、フォードもヒッチコックもレオーネも区別はありませんでした。
「勝手にしやがれ」はゴダール映画というより、沢田研二の世代です。
ただただ、映画の表面的な刺激が心地よく、ヌーヴェル・ヴァーグの本質を直観していたわけではありません。

ゴダールへのインタビュー語録の一節が興味深いです。
”「事実、人々がそうしたものを必要とするときもあります。私もまた、すべての人と同様、アラン・レネの映画ではなく、アラン・ドロンの映画を見にゆくことを必要としています。そしてそこには、真実のなにかがあります。」”

このテキストの中には、いろんな謎が含まれています。
アラン・レネの映画とは?
アラン・ドロンの映画を見ることが、必要だった。とは?

テーマ重視の記録映画的手法のアラン・レネと、テーマより、演出面を重視したゴダールは、手法の違いこそあれ、レネ作品に多大な影響を受けていたということか。

アラン・ドロン映画を様式化された商業的映画と否定していた(と思っていたが)、その中にこそ真実があるというのか。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」の騎手、既存価値の破壊者という側面だけがクローズアップされてきたゴダールのパブリックイメージですが、実は、記録的手法も、様式美ありきの商業映画も包括し、達観した監督であったと理解しました。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」=ゴダールというレッテルを、自分の中から取り外すいいタイミングかもしれません。

セロニアス・モンキースのファースト・アルバム「ミア・カリーナ」
収録曲タイトルと曲順を公開します。

Mia Karina
(ミア・カリーナ)

1 KARINA (カリーナ)
2 2001
3 エメラルドの湖沼 (コショウ)
4 Pique-nique (ピクニック)
5 銀の糸のつむぎ歌
6 Festivaltag im Weltraum ~宇宙のお祭り日~
7 模型の街
8 太陽は明日の二人のために沈む
9 EMOTION Ⅱ
10 Across The Sea 〜凪を超えて〜
11 Heads in clouds

全11曲となっています。2,5,6,9,11がmoonのMD楽曲からのカバー、
1,3,4,7,8,10がオリジナル楽曲となっています。

今現在、工場にてプレス作業が進んでおります。
お楽しみに!!

PS:
雨足が激しくなってきました。
過去最強クラスの台風とのこと、
関西圏、特に九州地方にお住まいの方は気をつけてください