ゴダールの「勝手にしやがれ」(1959年)がBSで放送されていました。 この映画の原題は「À bout de souffle」(息が切れた時)。 当時、技術より感覚的な手法で革命的な映画と言われていただけに、 原題に縛られない即興性があっていいタイトルだと思います。
1977年10月にピストルズが『Never Mind the Bollocks』(くだらねえことはほっとけ)を発表し、日本ではなぜか『勝手にしやがれ』という邦題がつけられていました。 当時既成概念への反抗と言われたヌーベルバーグと反体制的なメッセージを持ったパンク・ムーブメントに共通性があると言えばありますが.
ところで、同年5月に沢田研二が『勝手にしやがれ』をリリースしています。 この歌は、何かへの反抗ではなく、自由奔放な恋人を許容する男のカッコつけた男の切実さを歌ってます。 なんの関連性もない3つの作品が同じ邦題だったという、そんなお話でした。
さて、今週は「イチョウの杜」の歌詞修正と歌録音 1stアルバムに収録されている「模型の街」と同様に、今回も歌詞を共作しました。 一般的に、歌詞の共作はあまり行われない手法ですが、 私たちはパートごとに共作するスタイルを取っているため、そのパートに歌詞も含まれているというわけです。
イチョウは約2億7千万年前から姿を変えていない「生きた化石」と言われる植物。 イチョウの原産は中国浙江省の天目山周辺で、日本には仏教と共に渡来した。 イチョウに含まれる化学物質は神経に影響を与え、覚醒作用がある。
この曲の歌詞を考える際、最初に世界観を共有して、それぞれで持ち帰って考えてから、 それぞれが熟したタイミングで「せーの」でアイデアを明かしてみる。 そして、そのやり取りを行ったのが先週の出来事でした。
それぞれが、かなりテイストが違うものでしたが、世界観は共有していたので、 なんとなく話は繋がりそうではありました。 当初1番を私が担当していましたが、2番にした方が面白くなったので、 順番を入れ替えることにしました。
他者と共同作業をすることで発見もありました。 「メロディーに歌詞を乗せるか」、「歌詞にメロディーをはめるか」で、どちらかを変える場面がでてきます。例えば「この言い回しはいいが、メロに乗らない」とか。 単独作業だと、メロを変えるか歌詞を変えるかに悩むことはないのですが、共作においては他者が作ったメロディーが先にあり、歌詞を乗せる場合は、メロを尊重したいので歌詞を修正する必要があります。 さらっと文章に書いてしまうと、なんだか簡単そうですが、言葉の組み合わせと、メロディー、リズムとの整合性を見つけるなど、実際はかなりの試行錯誤が必要で、 寝ても覚めても、歩いても、泳いでも、ずっ〜と頭の中で鳴り響く日々が続きました。 そんな「イチョウの杜」の歌詞に注目してもらえたら嬉しく思います。
今週はここまで。 次回に続く